2000年から2009年 メディア掲載・工房の記録

2000年から2009年 メディア掲載・工房の記録

2009年1月|「ちい散歩第2集」地井さんの絵手紙

― 2行の広告から ―

「西荻窪は日本一のアンティーク街」と聞いて、胸が高鳴りました。ありましたよ、ボク好みのアンティークショップー『コレクションズ』。1920~50年代のアメリカの雑貨一色という店内。見ているだけでウキウキしてくるのは、なぜでしょう。

店内を飾る百年を超えた『おじいさんの古時計』や、昔懐かしい色合いのネオン管。目を惹いたのが、真空管ラヂオ。店主が、修理を終えたばかりのラヂオのスイッチをONに。聴こえてきたのは良き時代のアメリカの音! 軽快なアメリカンポップス。大型オープンカーの窓から出たTシャツの男の太い腕。車は猛スピード。わかりますよね、この感じ。

音といえば、路地裏で「ベルク・バイオリン工房」にもお邪魔しました。主人の桂敏明さんは、海外でも有名なバイオリン製作・修理・調整の名手。「どうしてこの道に入ったんですか」「二十一歳の時、たった二行の新聞の広告を見て、工房へ弟子入りをしたんです」朝、新聞を見て「その広告がバーンッと目に飛びこみ、思い出したんですよ。小学生のころテレビでバイオリンの音を耳にして、ゾクゾクした瞬間を」と、じつに素敵なお話。子どものころのひょんなことが、その人の人生を決めてしまう。あるんですよね。そう言うボクも、学芸会の体験がなければ、俳優にはなってないかもしれません。

―― ちい散歩第2集「地井さんの絵手紙」2009年1月より

 

2008年9月10日|「サラサーテ」弦楽器工房を訪ねて 第15回

修業時代に一流の楽器を見る目を培い、その技術力は毎年出品している国際コンクールでも高く評価されている。
演奏家との信頼関係を重視し、弾き手の好みに合わせたきめ細かな調整が自慢の工房だ。

ストラディヴァリを基準にオリジナリティを追求

今年で創業19年目を迎えるベルク・バイオリン工房は、西荻窪の閑静な住宅地にたたずむ、こぢんまりとした工房。社長の桂敏明さんは、クレモナのトリエンナーレやチャイコフスキー国際コンクールに毎年新作楽器を出展し、国際的にも知られた製作者だ。
桂さんの最大の財産は、修行時代にストラディヴァリをはじめとする銘器に触れ、本物を見る目を徹底的に養ったこと。その貴重な経験は、「桂モデル」と呼ばれている自作の楽器のフォルムにも存分に反映されている。
「私がモデルとしているのは、1715年の黄金期のストラディヴァリ『エンペラー』です。これをベースに、私なりのオリジナリティを加えた楽器を製作しています」
桂さんの楽器は、クオリティの高さもさることながら、52万5000円~という良心的な値段。そのために作るそばから売れてしまって、工房に残っていることはほとんどないという。

国内外の一流演奏家も調整を依頼する熟練の職人

こうした桂さんの技術は、国内外の演奏家からの信頼も厚く、チョン・キョンフアなど著名なヴァイオリニストたちの楽器調整をまかされることも多い。
「職人と演奏者とは、まずお互いの信頼関係を築くことが大切です。演奏者がどんな音を好むのかがわからないのに、いきなり楽器の修理や調整をすることはできません。ある程度の時間は絶対必要ですね」
修理・調整以前に楽器の管理で大切なのは、弾いている時間よりも弾いていない時の保管状態がポイントだという。
「特に6~10月の湿度管理は大切です。できれば専用の乾燥剤を入れておくと良いですね。楽器の変形を防ぐため、指板枕を使うこともおすすめしています」
毛替えはヴァイオリン3675円~、ヴィオラ3990円~、チェロ4200円、コントラバス6825円~。来店順に15分程度で仕上げてくれる(念のため事前に電話を)。
「楽器は調整次第でもっともっと楽に弾きこなせるようになります。そして、その楽器に合った最善の調整をするのが職人の技術です。その人に合った最善の状態になるように楽器を提供していますので、ぜひ足を運んでみてください」

「人にも楽器にもやさしく」が工房のモットー

ベルク・バイオリン工房
営業時間/10:00~20:00
定休日/日・月曜
住所/東京都杉並区松庵3-39-3
最寄り駅/JRほか西荻窪駅南口より徒歩3分
Tel. & fax. 03-3334-7179
e-mail / bergviolin@aol.com
http://www.ab.aunoe.net.jp/~bergviol/

「サラサーテ」2008年9月10月号より

 

2008年4月  |「ムジカノーヴァ」ピアノの先生の社会科見学

今回の社会科見学は、オーケストラの花形楽器であるヴァイオリンの工房に出かけました。
見学するのは、高校時代と大学時代にヴァイオリンを習っていたという伊藤先生と、ヴァイオリンは初体験となる藤田先生です。

空気の通り道となるf字孔

東京・杉並の閑静な住宅街にあるベルク・バイオリン工房。国内外の著名演奏家も、しばしば訪れるという。職人の桂敏明さんが製作する楽器は、イタリアの名器として名高いストラディヴァリウスのタイプ。それを極めたら、次はストラディヴァリウスの師匠であるアマティのタイプにも挑戦したいという。
ヴァイオリンには高価な楽器というイメージが強い。手渡された楽器を触るのもおそるおそる。でも桂さんから、ネックを持てば大丈夫と言われて安心。ヴァイオリンのニスは特に柔らかいので、胴に触れると、ニスがすり減って汚くなってしまうのだとか。
藤田先生がとくに気になったのは、表板の両側に空いているf字孔。これにより、楽器の中の空気が出入りしやすくなり、振動が容易になる。といって、あまり穴が大きいと音のたまりがなくなる。味わい深い音を作るには、胴の中で適正に反響するような調整が必要だ。fの字の中央付近に入っている刻みは「ウィングス」といって、音の重心を作る大切な要素。そういえばこのf字孔、鳥がはばたく姿にどことなく似ている。

音を決定づける胴体のアーチ

伊藤先生が一番知りたかったのは、胴体に見られる独特のふくらみがどのように作られるのかということ。そこで、実際の製作過程を見せていただくことに。
ヴァイオリンの素材となるのは表板がマツ、裏板がカエデの木。先に裏板を制作する。カエデをカンナで削りながら、アーチ状の隆起を出していく。カエデはとても堅いので、全身を使っての重労働。粗削りができたら、小さなカンナで形を整える。そして、スクレーパーという道具を使って表面の仕上げ。この隆起によって、その楽器の音の質が決定づけられる。桂さんの手元には、理想としているアーチをかたどった石膏がある。その感触をていねいに確かめながら、作業を進めていく。
ヴァイオリンを弾くのに欠かせない弓。決して添え物ではなく、どの弓を使うかによって、楽器の鳴り方がまったく変わるという。
弓の毛には、馬のしっぽが使われている。手元に巻いてあるのはくじらのヒゲ。こうすることによって弓が手から滑り落ちにくくなる。見た目も美しい。

*完成した楽器を試奏する先生方。*
お二人とも、美しい音色を奏でてくれました!

楽器に優しく、人にも優しく
楽器というのは、演奏者にとって自分の分身みたいなものです。だから、楽器のことを悪く言われるのは、たまらなく辛いでしょう。私は、どんなに状態の悪い楽器でも、その持ち主の気持ちを傷つけることはしたくありません。決して妥協せずに修理・調整を施し、その方に喜んでいただけるように最大限の努力をします。楽器に対しては当然のことながら、人にも優しい職人でありたいと思っているのです。いくら高い技術を持っていても、弾く人に伝えられなければ、それを活かすことはできませんから……。(桂さん)

有限会社ベルク・バイオリン工房
〒167-0054 東京都杉並区松庵3-39-3
TEL&FAX 03-3334-7179

*見学を終えた先生方の感想は?*
私は自分でヴァイオリンを持っているので、ピアノのレッスンに来る生徒に見せてあげることがあります。f字孔のことも「カモメみたいでしょ」と説明したりするんですよ。
今日は、楽器を製作している人の心意気に接することができて良かったです。でも、完成してから良い音が出るようになるまで20~30年、最高の状態になるには200年以上もかかるのですね。そのころまで自分は生きていられないわけですから……。男のロマンを感じました。(伊藤先生)

これまで、ヴァイオリンというのはまったく知らない分野でしたので、今日はずっと緊張の連続でした。
あのように身体に密着する楽器を演奏してみると、楽器を扱う際の心づかいについて、改めて気付かされます。使う人の気持ちをいつも思いやっているという桂さんのお話を聞きながら、涙が出そうになってしまいました。さまざまな生徒に接している指導者として、ピアノの技術だけでなく大切にすべきことがあると、思いを新たにしました。(藤田先生)

平成18年(2006)3月22日|散歩の達人 中央線BOOK

ベルク・バイオリン工房(バイオリン工房)

22歳からこの道に進んだ桂敏明さんは、職人歴25年。初心者用からプロ使用までの修理はもちろん、一枚の木から、音も形も美しいバイオリンを作り上げる。「人の感覚と木が一体になるんです」と話す桂さんの腕は国内外で認められ、ストラディバリウスなどの名器の修理・調整にも関わる。
「50歳から本当のバイオリン作りが始まるんじゃないかな」と、熟練の腕にさらに磨きをかけている。
●西荻窪駅から徒歩3分。10時から20時、日・月休。松庵3-39-3 電話03-3334-7179

散歩の達人 中央線BOOK(平成18年3月22日発行)より

 

2006年4月・2007年10月|GATEN

レアもの求人情報
バイオリン職人

・暑い板を削り出す伝統的な製法により、一からバイオリンを作り上げる職人。
 もちろん修理や音の調整も行う。

美しい音は丁寧な仕事から 数百年後の名器を目指して

人間の声に一番近い楽器といわれるバイオリン。「胴の隆起を見れば、どんな音がするかわかる」と桂さんは言う。この道27年、国際的コンクールでも入賞経験を持つベテランだ。
「バイオリン作りは、型を取って削り出し、二カワで組み上げてニスを塗り、弦を張って完成。全部手作業だし、型やニスも手作りだから、だいたい月1本のペースですね」
形は作れても、美しい音を生み出すことは難しい。だからこそ、一切の妥協は許されない。ふさわしい木を求めヨーロッパへ買い付けに行く。道具も自分で改良し、時には自作する。
「修理で持ち込まれる数千万円、数億円の、数百年前の名器を見ると、私の作品も数十年、数百年後にそんな音を奏でていればいいなと思いますね」

弟子入り情報
社名:有限会社ベルク・バイオリン工房
募集職種:バイオリン職人見習(※月5万円程度のお小遣い支給、交通費込)
応募資格:学歴不問、22歳くらいまで、未経験者可
勤務地:東京都杉並区松庵
勤務時間:10:00~20:00
休日休暇:週休2日制(日曜・月曜)、年末年始
応募方法:履歴書郵送
交通:中央線・総武線西荻窪駅南口より徒歩約3分
問い合わせ先:〒167-0054 東京都杉並区松庵3-39-3
電話:03-3334-7179

音楽の素養にはこだわりません。とにかく木工が好きという人が向いています。ただし一人前になるまで10年は必要。結果をあせらず、こつこつ続けられる人でないと難しいですね。

工房内の棚や机はほとんど自作。「道具はもちろん、もう大抵のものは作れます」と桂さん。

桂敏明(48歳)
この道27年。薬剤師を目指すはずがバイオリン製造会社へ就職。11年皆勤で勤め、16年前に独立。

(2006年4月 GATEN、2007年10月 GATENより)

 

2005年10月|「リボン館通信 vol.26」バイオリンとともに流れる時間 ~松庵3丁目~

バイオリンとともに流れる時間 ~松庵3丁目~

街を歩く人が窓際にかかるバイオリンを、足を止めて眺めている。作業台の上の使い込まれたヤスリが、ここ杉並で工房を始めて15年という年月を感じさせます。「バイオリンは出来上がってすぐにはいい音が出ません。上板と下板が奏者の音を覚えるとされる五年目あたりから、ようやくそのバイオリン本来の音が出てくるのです」と職人の桂氏は語ります。また、200年も経った楽器の木部は、たたくとカンカンと炭のような音がして、弾くととてもいい音色を奏でるということです。何とも気の長い話ですね。

 クラシックのレコードがかかる作業場で、丹念に楽器を調整する職人さんと、たわいもない話をしながらゆっくりと時間が流れていきます。

(有)ベルク・バイオリン工房
杉並区松庵3‐39-3
TEL/03(3334)7179
営業時間/10時~20時
定休日/日・月

(2005年10月リボン館通信 vol.26)

 

 

 

2004年9月18日|BS朝日 「THE MEN’s TV」 に出ました。

 

 

 

2004年2月1日|日本弦楽指導者協会関東支部 K-STA ニュース No.48 毛替えのススメ

毛替えのススメ

 ドアが開き、今日最初のお客様が顔を出す。

 「どうしました? どこか悪いところでもありますか」という質問から、お客さんとのやりとりが始まる。
 「どうも弓が変なんです。すべるようで、音があまりよくないんです」
 お客さんの弓を受け取って見ると、毛の根元に松脂がべっとりと付き黒くなっている。これは買ってから一度も毛替えをしてないな……と思いつつ、顔はにっこり笑って質問する。
 「前に毛替えをしたのはいつ頃ですか?」
 「買ってから2~3年になるんですが、毛替えはしたことがありません」
 「あーやっぱり。お客さん、これは十分元を取っていますよ。これじゃ弾いていても、音になりません」

 「200時間も弾くと、弓の毛のキューティクルがなくなり、松脂がすぐに毛から落ちてしまって、弦にひっかからないのですよ。弓が変だとおっしゃったのは、そのせいです。このままでは、せっかく練習しても効果があがりません。毛替えをしましょう」

と私。
 目の前で、15分位で毛替えをする。
 「お待たせしました。どうぞあちらの試奏室でお試しになってください」

 お客さんはちょっと赤く頬を染めながら、
 「いやいや私は人前で弾けるような腕ではありませんから…」
 「そうですか。では家で弾いてみてください。何か感想でもあったら、気軽に電話してください」

という会話でお客様とのやりとりは終わる。
 その後、「弾きやすくなりました。これなら早く毛替えをすれば良かった。ありがとうございました」

 このような電話が入るその時間が、私にとって至福の時でもある。
 また明日もがんばろう!

(有)ベルク・バイオリン工房 桂敏明・協賛会員

K-STA ニュース No.48
発行日:2004年2月1日
日本弦楽指導者協会関東支部広報

 

2001年|「おけいこKIDS」秋冬号

美しい音色を奏でる楽器たち

 美しい音色を聴くと心が安らぎ、子どもの感性や音感を豊かにしてくれる。
 好きな楽器を選び、演奏する喜びを発見すれば、音楽との楽しい出会いが生まれてくる。


成長に合わせたサイズで演奏 バイオリン

◇ベルク・バイオリン工房
 バイオリン職人・桂敏明氏が製作する、職人の技術と信頼をモットーに「音が良い」「弾きやすい」「良心的な価格」を売りとする楽器店。
 バイオリンの製作は、材料となる木材を削って作るのだが、その一枚の板を削り出すには、何千、何万回とノミを使って板を削る根気のいる作業が必要だ。
 長年のカンが頼りの職人技でもある。お客さんとじっくりと話し、その人にあった音色を探す手伝いも、楽器作りに欠かせない大切な仕事。
 手工の製作は、3~4ヶ月に1本作るのが限度で、製作はほとんど予約制。店では直輸入した楽器を展示しているほか、調整や修理なども受け付けている。
 バイオリンセットは5万6000円から。職人オリジナル手作りバイオリンは40万円から。


東京都杉並区松庵3-35-21-102 (当時の住所です)
電話 03-3334-7179
http://members.aol.com/bergviolin (当時のアドレスです)


2001年「おけいこKIDS」秋冬号より

 

 

2001年7月|「ミュートスATTA」

バイオリン職人 [craftman of violin]
知られざる仕事 知りうる仕事 仕事場から012

「ばいおりんしょくにん」
バイオリン職人の仕事は、製作だけにとどまらない。メーカーの社員ではなく自分の工房をかまえる職人の場合、店の開店中は修理や販売が主な仕事。閉店後などの時間を利用して、製作や道具の手入れ、研究、材料調達などさまざまな仕事をこなしている。
バイオリンの形は誕生した400年前からほぼ変わらないが、制作技術は日々変化している。例えば現代の大きなホールに合わせて、十分響く音を出せるよう改良を重ねていく。しかし、根気や集中力の必要な緻密な作業であることは古くから変わらず、板の厚さ、部品の位置など百項目にも及ぶデータを1本1本作り上げるたびに取っていく。それらの積み重ねが職人の財産となっている。

魅せる音色をこの手で作り上げる
バイオリン職人の繊細な技

扉を開けるとそこはバイオリン工房だった。外から見ると、ごく普通のマンションの一室。しかしその中は芳しい木の香りが満ち、作りかけの楽器やさまざまな道具が所狭しと置かれ、削られたばかりの木屑も散らばる。そして一角にはできあがって整然と陳列された楽器たち。

あとは弦を張るばかりの一台を取り出し、桂敏明さんは言った。
「このバイオリンは気に入っているんだ。20何年試行錯誤をくり返して、やっとここまで来たんだよ」
4本の弦が丁寧に張られ、職人の腕の中でいま完成したばかりのバイオリンは、まるで生まれたばかりの生命体のようだった。
「まだ馴染んでないけれど、これから音はどんどん変わっていくんですよ」

調弦の後に奏でられた曲はグスタス・ランゲの『花の歌』。
「僕はあんまり練習してないから、こんなもんですけど」と照れくさそうに笑う。
これからこのバイオリンは、どんな場所で、どんな奏者の手で、どんな曲を奏でられるのだろうか。
誰かに涙を流させるかもしれない。
誰かに生きる力を与えるかもしれない。
楽器の生まれる現場で聞いた職人の奏でる音色は、その第一楽章だった。

まわり道の末、この世界に入って20年。
どれだけのバイオリンを残せるか、が僕の人生です。

-桂さんとバイオリンとの出会いはいつごろですか?
桂敏明さん(以下、桂):小学校3年生の音楽の時間に、はじめてバイオリンの音色を聞いたのが衝撃的だったんですよ。1番低いG線の音色が美しくて。曲は『あかとんぼ』でしたけど(笑)。
実はそれまで低い音が苦手な子どもで、除夜の鐘や映画の重低音が怖くて耳をふさいでいたんです。でもバイオリンのG線の音は、すーっと耳に入ってきて、救われるような気持ちになった。その後バイオリンを買ってもらって習いに通ったりもしました。

-で、バイオリンが好きでごく自然にこの道に入られたわけですね。
桂:高校を出て進んだのは大学の薬学部です。曾おじいさんが医者だったこともあり、親に言われてね。でも大学の雰囲気が合わなくて中退(笑)。アルバイト生活をしていたんです。もう21、22歳になっていたんで親の仕送りなしで自活しようかと考えていた時、新聞に「バイオリン職人募集」の広告が。「これだ!」とすぐ電話してしまいました。まるで稲妻に撃たれたようだったな。

-薬学生からいきなり職人に、迷いはなかったんでしょうか?
桂:あのときはリスクも何も考えず、「バイオリンを作ろう!」と。やっぱり子どもの時の経験が大きく影響してたと思います。日本で一番大きな弦楽器の工房だったけど、面接では「自分に才能があるかどうかは分からないから、なかったらクビにしてくれ」なんて言って。

-そうして11年にわたる修行時代がはじまったんですね。
桂:最初はバイオリンの裏板のでこぼこならしから始めて、一つひとつの技術をこの道20年の先輩職人について教わりました。毎日手探り状態で、真っ暗闇の中を進んでいるようだった。30歳になるまでにバイオリン作りのすべてを吸収してしまおう、という目標を立てたので、仕事を楽しむ余裕はなかったですね。11年間、日曜日以外、仕事は1日も休みませんでした。
3年目には初めて自分の楽器を一人で作ってみようということになって、弟子たちが揃って挑戦したんです。技術が足りなくて次々に挫折していったけれど、僕だけは完成させることができた。時間は丸2年かかりましたけれど、作り上げたという達成感がありました。

-その工房で自信をつけて、一人立ちされたのが11年前ですね。
桂:そうです。最初は一人で不安だったけれど、大きな工房の中にいてはできないことをしたい、極めたい、と思ってね。初めての経験だった材料の買いつけも、フランスのブザンソンまで出かけました。海外から他の職人の楽器を輸入して、調整して販売するという新しいことにも挑戦しています。
道具のこと、木やニスなど材料のこと、知りたいこともまだまだたくさんある。ジャンルは違うけれど腕のいい宮大工さんや木挽職人さんの話もすごく勉強になります。あと、お客さんと直接話をできるようになったことが大きいですね。

-今の桂さんは本当にバイオリンが好きで楽しんで仕事をなさってますね。
桂:僕はバイオリンの甘い音色が好きだから。でも、生まれたばかりの楽器はまだその本当の音色を出していない。10年、20年経たないとバイオリンの真価は発揮されない。だからいまは自分の作った楽器を演奏している人の発表会などに行って、変わっていく音を聞くのが一番楽しみです。

編集者の目 Point of View : 012

現在の日本では、どんなに腕が良くてもバイオリン制作だけで食べていくことは難しい。
制作一本で生計を立てられる職人はほんのわずか。多くは桂さんのように修理や調整、販売を兼ねて工房を経営しているが、それでも需要が少ないので職人の数は多すぎるくらいだという。
だが「バイオリン職人になりたい」と門戸を叩く若者は少なくない。「給料いらないから弟子にして欲しい」なんて人が、僕の所にもよく来るけれど…。「自分のことで精一杯だから僕は弟子を取れないよ」と桂さん。

バイオリン職人になる道は学校に入るか、工房で実地に技を身につけるかの二通り。国営のバイオリン職人学校があるイタリアなどへの留学も盛んだが、桂さんの場合は、修行時代がバブル経済華やかなりしころで、世界中の名器が日本に大量に入ってきていた。たくさんの良い作品を見て、音を聞くことができたため、日本で十分な修行を積むことができたという。

「私はいい時に修行ができてラッキーだったけれど、やってみたい人は諦めないで夢を持って挑戦してください。向いているかどうかはやってみないと分からない。私だって小さな広告ひとつから、まるで導かれるように20年やってきたんだから」

有限会社ベルク・バイオリン工房
〒160-0054 東京都杉並区松庵3-35-21-102(以前の住所です)
TEL 03-3334-7179

海外の一流職人も見学に来る桂さんの工房。バイオリン職人同士なら、工房を見ただけで主の技量や考え方が分かるのだとか。製作ノートには測定されたデータがいっぱいだ。

バイオリン作り 匠の技

バイオリンは表板・横板・裏板・ネックなどから成る。
表板は松(建築資材には適さない材質のもの)、横板と裏板はカエデというように使われる木が違う。日本の木は湿気を多く含むため楽器制作には向かない。ヨーロッパの材料が最良とされている。

  1. 土台となる「はぎ合わせ枠」、「ブロック」という木片を支えに独特の曲線を形作る。できあがった型枠に合わせ、約12ミリに削った横板をコテで曲げ、ブロックにつける。

  2. カンナをかけ、裏表を合わせた木を「型」にそって裁断。

  3. 裏板と表板をノミで削る「スクレイパー」という作業を行う。裏板はでこぼこをならし、音の決め手となるイタリアンアーチと呼ばれる隆起を造る。表板は木目をきれいに出す。

  4. 「ネック」と「スクロール」を作る。スクロールは左右対称に作り上げるのがポイント。

  5. ニスの乾燥後、音色を決める「魂柱」を作り、本体の中に立てる。弦を張った後に位置調整。±0.01ミリ単位の微妙な感覚が必要となる。

かつら・としあき

1957年 熊本県甲佐町生まれ。44歳。大学薬学部を中退後、新間配達のアルバイト生活を経験。1979年、22歳の時に東京の弦楽器専門店「文京楽器」にバイオリン職人として就職。茶木泰風氏に師事し、バイオリンの制作修理技術を身につける。1990年、東京・西荻窪に自らの工房「有限会社ベルク・バイオリン工房」を設立。趣味は釣り。昨年からは自分への投資としてコンクール用に作品を作り、出品も始めたという。

右:素材木からおおまかな形に切り出したネック部分。スクロールや糸巻きなどの細かい加工が施され、本体にはめ込まれる。
左:仕上げに弦を張るところ。試奏をし、張りの強さを調整する。
独立して11年、30本のバイオリンを作り上げた。

(2001年7月 「ミュートスATTA」より)

 

2001年|Z-press7月号

下はご依頼のテキスト内容をHTMLタグや画像情報を除いた純粋なテキスト形式に整えたものです:


おしごとのオモテとウラと周辺と・・・
人に、きいてみる。

今月のおしごと  「バイオリン職人」
お話ししてくれるのは桂敏明さん

●桂さんとバイオリンとの出会いは?
小学校3年のとき学校で聴いた女性バイオリニストが弾く「夕焼け小焼け」―NHKの教育テレビだったと思うんですが― これがまさに「衝撃」だったんです。
実は私、除夜の鐘のゴ~ンという音とかピアノの大きな低い音とかがコワくてしかたないという子どもでして、「行く年来る年」やってるときなんて耳栓してたくらい(笑)。それなのにそのとき、バイオリンのG線(いちばん低い音の出る弦)のすごくやわらかい低音がすーっと入ってきて・・・。それから2年間、バイオリン教室に通わせてもらいました。

●大学は薬学部へ進まれたんですよね。
ええ、曾祖父が医者だったこともあって、医療関係へ目が向いていたんですね。一度は都内の大学の薬学部へ入学したんですが1年でそこをやめ、2年間新聞配達をしながら別の大学の薬学部を目指しました。自分ではずいぶんがんばったつもりでしたがうまくいかず、それでもなお受験勉強を続けるために動物園のアルバイトに応募しようとした当日の朝4時半、偶然新聞の求人欄で「バイオリン職人募集」の文字を見つけてもう「これだ!」って感じ!8時まで待って電話して、すぐに面接に行きましたよ。

●そこで一から修業されたというわけですね。まずはどのへんから?
「ツイクリ」がけ。(へ?「ツイクリ」?)英語だと「スクレーパー」。バイオリンの表板と裏板の隆起(=アーチ)を専用の刃物で削り出しながら、木目を際立たせるようにするんです。え、削りすぎないかって?ん~、失敗はすべてカバーできる程度にするのが大事。削りすぎてたら今のワタシはないのです(笑)。(カバーできないことをやらかすと事務やら営業やらに回されたりするらしい…)当時は自分に才能があるかどうかなんてわからないから、とにかく徹底的にやろうと思って、腰骨が折れるくらいハードに仕事しましたね。

●当時その工房(文京楽器)にはストラディバリウスなどの世界的な名器が持ち込まれていたそうですね。
ええ。職人も20人くらいいましたし、日本屈指の工房だったんじゃないかな。有名な演奏家たちがすばらしいバイオリンを修理や調整のために持ち込んできてましたから、私たちは何億円もする本物のストラディバリウスを何本も見、触り、実際に修理することができたんです。おかげでヨーロッパに行く必要がなくなっちゃった。

●ご自身で開業して12年目とのことですが、ふだんのお仕事について教えてください。
私のところでは、バイオリンの制作・修理・調整、そして販売をしていますが、時間的にいちばん多いのは修理や調整ですね。バイオリンというのは壊れたわけじゃなくても、日常のメンテナンスが欠かせない、こうした工房とつきあいが必要な楽器なんですよ。赤ちゃんと同じで、ほっとくわけにはいかない。つまり、売った後でどのようなサービスができるかが問われるってことです。
毎日、お客さんから預かったもの、販売用に調達したもの、数多くのバイオリンに触れるわけですが、そのたびに教えられることがあるといった感じです。ほんとにこの仕事は何年やっていても、勉強しなくてはいけないことがいくらでもありますね。ですから機会があるごとに世界中の職人さんたちと情報交換をしたり、海外のコンクールに出品したりもするんですよ。これらはすごくいい刺激になりますし、自分の小ささを知って謙虚でいるためにも大切ですね。
販売の方については、実際に使って喜んでもらえるものを適切な価格で提供したいと考えています。それにはまず、その値段が適切かどうか、世界的に見て正当かどうかを判断する目が必要です。これは常日頃いいものを実際に見ていないと養えません。修業時代、「職人は安物は見るな!」と言われたもんです(笑)。その他にも、独自のルートを開拓して買い付けをしたり、効率の悪い広告を控えたりと、お客さんとの信頼関係を作っていくために思いつく限りの努力をしています。

●この仕事、やっててよかったと思うときは?
「ここで調整してもらうようになってから楽しく弾けるようになった」なんてお客さんに喜んでもらえたとき。逆に、自分では「完ペキな出来ばえだぜ」と思ってんのに「あ、どうも」なんてあっさりあしらわれちゃうと、ちょっとかなしい…。

●バイオリン職人としてのこだわりは?
「人にもやさしく、楽器にもやさしく」ということですね。独立する前から私は、世間一般のイメージのような職人の態度に疑問を持っていたんです。ぶっきらぼうやエラそうな応対で、お客さんの求めているものを引き出すことはできません。
私は、お客さんが本当にしてほしいと思うことをしてあげたいし、もっともっとバイオリンを好きになってもらいたい。
それにはお互いに心からのコミュニケーションがとれないとね。そう思うと、言葉の大切さも身にしみて感じます。
それから、その楽器にとって「これが最高」という状態をキープしてあげたい。それを最初に作った職人が信じた「最高」の状態にね。だからその意志を尊重してむやみに改造はしないの(笑)。
この2つを「基本」としてずっと大切にしながら、いいものを作っていきたいですね。そして自分のバイオリンを世界に出したい、これが私の大きな目標です。

●本日はどうもありがとうございました。


バイオリンの各部位について:
・表板:微妙な隆起が音色を左右。熟練職人は見ただけで音が想像できる。
・f孔:共鳴音が抜ける穴。美しさも重要。
・弦:左から太く、低音域。最も左がG線。
・糸巻き、ネック、指板(わずかに反りが必要)、横板(アイロンでカーブ形成)、駒(表板に振動を伝達)、裏板(表板と同様)。
・弓は別の専門職人の担当。

桂敏明(かつら・としあき)
1959年熊本県生まれ。文京楽器で11年修業し、1989年に西荻窪にベルク・バイオリン工房を開設。

 

 

2001年4月|「イキワクな人 第4回」見えない響きを形にする

見えない響きを形にする
バイオリン職人 桂敏明さん

桂敏明さんは22歳の時、バイオリン制作者としての修行を始めました。11年間修行した後、独立。1990年に、東京都杉並区で有限会社ベルク・バイオリン工房を設立。
バイオリンの販売、制作および修理をしています。取材中、桂さんに自作のバイオリンを弾いていただきました。
部屋中に満ちわたる響き。ハートをぐっとつかまれて、普段とは違うところに連れていかれる。そんな感じでした。

〇言葉にできない技の世界

桂敏明さんは、11年間にわたる修行を経験した。日曜日以外は、1日も休むことなかった11年間。工房には最初に顔を出し、帰るのも最後。それでも時間が足りない。できることなら、日曜日も仕事をしたかった。

「11年間、真っ暗なトンネルの中を歩いているような感じでした。いくらやっても、満足できるレベルに到達しない。でも、かすかに見える針の先ほどの光があったからこそがんばれたのでしょうね。必ず満足できるバイオリンを作れるようになる。自分を信じる心がどこかにあったのだと思います」

修行時代、「先輩から技術を教えてもらおう」という気持ちが、技の習得の妨げになっていた。そう桂氏は振り返る。仕事の段取りだけなら、教えてもらうこともできる。しかし、言葉では教えられない多くの技を身につけない限り、一人前のバイオリン職人とはいえない。一人前になるには、先輩の技を盗んで、自分のものにするしかないのだ。

たとえば、バイオリンを削り出すために使うノミを研ぐだけでも、数え切れないほどの技が要求される。砥石に刃を当てる角度、研く時のスピード、研ぎ汁の量…。さらに削る木の種類によっても、研ぎ方を微妙に変化させる必要がある。固い木を削るには、刃の角度を鈍角に、柔らかい木の場合には鋭角にしなくてはならない。

こうして身につけたノミを研ぐ時の力加減は、ノミで木をうまく削る技にも通じている。ノミをしっかりと研げるようになれば、木も正確に削れるようになる。

これだけのことを言葉で伝えることは難しい。職人が多くを語らないのは、言葉の限界を知っているからなのだろう。

〇音との出会いが人生を変えた

幼い頃、桂さんは除夜の鐘を聞き、その響きの恐ろしさを感じて震えていた。ところが小学校3年の時、テレビで女性のバイオリニストが「赤とんぼ」を弾いているのを聞いた時、桂さんはその音色の美しさや気持ち良さに魅了されてしまう。桂さんは、それから2年間バイオリンを習うが、その後は、バイオリンから遠ざかってしまった。

転機は22歳の時に訪れた。朝方、配達されたばかりの新聞を拡げた桂さんの目に、「バイオリン技術者募集」という記事が飛び込んできたのだ。

「記事を見た瞬間に、ハッと息をのみました。その一瞬のうちに、これが自分の仕事だと決めていました。翌日には面接を受けて、無事に合格。晴れてバイオリンの修行を始めることができたんです」

小学3年の時からずっと、桂さんの体にはバイオリンの音色が響いていた。そしてその響きが、彼を導いてきたのだろう。

〇響きを形にする技術

バイオリン制作は100分の1mmの世界だ。材料となる木材を削り出して作られるバイオリン。その音色は、板の厚さのわずかな違いによって変化していく。

板の厚さには基準値がある。しかし最終的には、職人のカンだけが頼りだ。ノミで木を削った時の手応えと、長年の経験から木の厚さを決めなければならない。

桂さんは、バイオリンを見ただけで、どのような音が出るかがわかるという。また他の職人が作ったバイオリンを修理する時には、その制作者の意図をくみながら、なるべく自分の色を出さないように修理する。それだけの腕を持ちながらも、桂さんは自分の技がまだまだ不十分だと考えている。

「バイオリンを作れば作るほど、新たな課題が見えてきます。私はストラディバリを見本にしていますが、やっとその形に近いものを作れるようになってきたところです。とても、オリジナルのバイオリンを作る余裕はありません」

名器として有名なストラディバリの音色は、天使のささやきと表現される。一方、同時代を生きた職人、ガルネリのバイオリンの音色は、野性味があって骨太な音を出す。

「最終的には制作者の個性が、音の違いになって現れてくるようです。でも、ストラディバリにしても、自分らしいバイオリンを作りたいとは思っていなかったはずです。基本に忠実に、ひたすらバイオリンを作っているうちに、次第に自分の求める音が見えてきた。そのイメージを形にしようとする努力が、後世に残る名器を生んだのではないでしょうか」

職人として有名になるために、これまでなかったようなバイオリンを作りたい。そんな計算によって作られたバイオリンからは、鳥肌が立つような音しか生まれない。

「私達はみんな、自分の響きを持っているんです。その響きを形にするのが、バイオリン職人の仕事。でもそれは、自分の頭で考えれば何とかなるようなものじゃない。無心にバイオリンを作る過程で、感じ取っていくしかないのでしょうね。いつの日か、自分の音を出せるバイオリンを作りたいですね」

一流の演奏家は、バイオリンが本来持っている響きを引き出す技術を持っている。また自分が生まれつき持っている響きも知っていて、それを明確にイメージしている。職人の響きを託されたバイオリンと一流の演奏家が出会う時、それぞれの個性は溶け合って、私達を感動させてくれる音楽を生み出してくれるのだ。

〇音楽の素晴らしさを伝えたい

桂さんは10年前にタバコを止めた。少しでも長く仕事を続けたい。そして、自分がバイオリン職人になるきっかけになった、バイオリンの音色の素晴らしさを多くの人に伝えたいと考えてのことだ。

「来店されるお客様の中には、正確に演奏する技術を身につけようと、がむしゃらになっている方が多いようですね。そうした方々が、バイオリンの音を楽しめるようになるきっかけを作りたいと思っています」

こうして音を楽しむことが、本当の「音楽」なのだろう。「音楽」する経験を通して、自分が持っている生まれつきの響きに気がつく。その響きを形にできた時、私達は大きな感動を味わえるのではないか。

「自分の使命や、この世の仕組みを知りたい、そんなふうに感じることがあるんです。バイオリンを作ることで、いつか悟れる日が来たら嬉しいですね」

見えないものを形にする。桂さんのあくなき努力は続く。

2001年4月

 

 

2001年3月|「BE-ALL No.81」 見えない響きを形にする技

饒舌な職人、それはちょっとイメージしづらい。長年の鍛錬の末に身につけた技は、言葉よりも雄弁に何かを語る。だからこそ職人は、あえて言葉で語らないのかもしれない。

バイオリン職人の桂敏明氏は、11年にわたる修行を経験した。「一を聞いて十を知れ」。修行中、桂氏は先輩から何度もそう言われた。しかしその言葉の大切さを実感したのは、独立後自分の工房を開いてからだったと振り返る。

「一を聞いたら、一を知ればいいじゃないか。真剣にそう考えていました。でも、言葉で教えられるのは、本当に表面的なことだけなんですよ」

たとえば、バイオリンを削り出すために使うノミを研ぐだけでも、数え切れないほどの工夫が必要だ。砥石に刃先を当てる角度、研ぐ時のスピード、研ぎ汁の量…。さらに削る木の種類によっても、研ぎ方を微妙に変化させる必要がある。堅い木を削るには、刃の角度を鈍角に、柔らかい木の場合には鋭角にしなくてはならないのだ。

こうして身につけたノミを研ぐ時の力加減は、ノミで木をうまく削る技にも通じている。ノミをしっかりと研げるようになれば、木も正確に削れるようになるのだ。

もしこうしたことを全て文章化したら、ノミの研ぎ方だけでも厚い本になってしまうだろう。結局、先輩のやり方を見ながら、自分自身で学び取っていくのが一番効率的だということになる。職人達は言葉で伝えられることの限界を知っているからこそ、後輩に細かい指導をしないのだろう。

このように容易に言語化できない、数え切れない技によって、バイオリンは作られている。しかし桂氏は、完成したバイオリンの善し悪しは、見ただけでもわかるものだとも言う。

「名器といわれているストラディバリは、素人の方でもちょっと触れれば普通のバイオリンと区別できるはずです。特に実際に手にしてみると、その素晴らしさにため息がでる、そんな不思議な力があるんです。」

優雅な美しさを持った名器。その名器には、それぞれ強烈な個性がある。まるで、バイオリン自身が出したい音を持っているようだと桂氏は表現する。

そしてまた一流の演奏家も、自分の出したい音の明確なイメージを持っている。出したい音を知っている楽器と、自分のイメージを持った音楽家、お互いのコミュニケーションから、私達を感動させる音楽が生まれるのかもしれない。

「楽譜通りの音階やリズムで弾く技術も大切です。でも、そのバイオリンが本来持っている音を出すことの方がもっと重要ではないでしょうか。もしバイオリン本来の響きを引き出せる技があれば、楽譜なしでアドリブで演奏しても、聞く人を感動させられるはずです」

幼い頃、桂氏は除夜の鐘を聞き、その響きの恐ろしさを感じて震えていた。ところが小学校3年の時、テレビで女性のバイオリニストが「赤とんぼ」を弾いているのを聞いた時、桂氏はその音色の美しさや気持ち良さに魅了されてしまう。それから2年間、桂氏はバイオリンを習った。しかしその後は、バイオリンから遠ざかってしまった。

転機は22歳の時に訪れた。朝方、配達されたばかりの新聞を拡げた桂氏の目に、「バイオリン技術者募集」という記事が飛び込んできたのだ。

「記事を見た瞬間に、まるで息が止まったようでした。その一瞬のうちに、これが自分の仕事だと決めていたんですね。翌日には面接を受けて、無事に合格。晴れてバイオリンの修行を始めることができたんです」

小学3年の時からずっと、桂氏の体にはバイオリンの音色が響いていた。そしてその響きが、彼を導いてきたのかもしれない。

バイオリンは人間らしい楽器だと言われる。たしかに、なめらかな曲線は女性の体を連想させる。しかし、それ以外にも人間らしい部分が多い。

「完成したばかりのバイオリンは、いい音が出ません。5年くらい弾き込むと、やっと本来の音が出るようになります。ところが、しばらく弾かないで置いておくと、いい音が出なくなってしまいます。歌を歌うことを忘れてしまうんですね」

演奏者と楽器の関係は友達関係に似ている。良い楽器とつきあえば、演奏者のレベルも高くなる。逆にいつまでも、安物のバイオリンを使っていると、演奏家の技術が伸びなくなってしまう。

人間関係には、それを使ったら絶対うまくいくような法則はない。相手の様子を見ながら、その場その場で自分の態度を調整していくしかないのだ。バイオリンを作る過程にも、それと同じようなところがあるという。

バイオリンは、材料となる木材を削って作る。1枚の板を削り出すためには、何千回、何万回とノミを使って板を削らなくてはならない。職人の手は、その手応えから、板の堅さ、ねばり具合を感じ取る。それによって、板の厚さを100分の1mm単位で調整していく。板の厚さについては、一応標準値はあるものの、最終的には職人が自分のカンに基づいて決めなければならないのだ。

桂氏の手本は、ストラディバリ。しかし、そのニスひとつとっても、現代では全く同じものを作るのは不可能だ。

「当時はニス専門の職人がいたようです。ところが、化学的に合成された速乾性の塗料が開発されるにつれて、伝統的なニスの技術が忘れられてしまったんです」

合理性を追求するあまり、人間的なペースが忘れられていく。同時に、職人達が長い年月をかけて磨いてきた技も失われてしまったのだ。これが本当に合理的なことなのだろうか。科学技術が発達した今でも、300年前に生きていたストラディバリの技術に追いつけないというのに。

「バイオリンを作るのにも、ちょうどいいスピードがあるんです。あまり遅くでもだめだし、早くてもダメ。人間が本来持っているペースで作ることが大切なようです」

バイオリンはまさに、人間そのものと言えるのではないだろうか。

「人はそれぞれ、独自の響きを持っているんじゃないかと思います。バイオリン製作者は自分の響きを楽器にしようとする。演奏者は自分の響きを出すために演奏の技を磨く。そして、自分の響きにたどり着けた時にこそ、大きな喜びがあるような気がします」

そのためには、自分の中に計算があってはダメだ。とにかく無心で制作すること。そして、自分の響きを形にしたバイオリンを1本でもいいから作りたい。桂氏はそう話してくれた。自分の響きを形にするためのあくなき追求は続く。

2000年5月|「蛍雪時代 5月号」(旺文社)職人って、やっぱり無口で頑固?

バイオリン職人
有限会社ベルク・バイオリン工房
桂敏明さん

「好きなことができて楽しそうとよく言われるんですが…」と桂さんはしきりに頭をかく。バイオリン職人に憧れ、バイトや弟子入りを希望してくる人も多いそう。「たいていの人は僕がいつもバイオリンを製作していると思っている。そんなの2~3割ですよ。ほとんどは、ノミ研ぎ、楽器やニスの研究、材料の調達など地道な仕事。本当にバイオリンが好きでなければ長続きはしないでしょう」

営業時間中は修理や販売などが主な仕事。新作に取り組めるのは、閉店後の数時間しかない。やはりバイオリン職人だから、バイオリン作りに時間を使いたいのが本音だろう。しかし、桂さんは「接客も大切にしたい」という。

接客を大切にする職人? なんか職人といえば、無口で頑固で、客を怒鳴ったりするイメージがあるけど…。実は以前、桂さんも定番通り(?)気難しい職人だった。「技術がある人は、威張っているものと思っていました。でも、たまたま合奏団に入ったら、優れた能力を持っているのに威張らない人がいて、ビックリ(笑)。考え方が変わりましたね」

今は「お客様とじっくり話し、その人にあったバイオリンとその音色を探す手伝いも、この仕事の魅力」だそうだ。


桂さんのミニ人生劇
バイオリンとの出会いは、小学校3年生の時。音楽の授業でその音色を聞いて、心を奪われる。
その後、生物に興味を持ち、某大薬学部に入学するも、中退。別の薬学部を再受験したが、サクラは散ってしまう。あきらめきれずに動物園で飼育係をしながら再々受験を目指そうとしていたある日、新聞の朝刊で「バイオリン職人募集」の小さな広告を発見したのだった。コレだ!と小3のときの感動が一瞬にしてよみがえり、即応募。面接では「才能がなければ首にしてくれ」とうったえた。入社後、口もきかず、黙々と作業をする姿が上司に好印象を持たれ、3ヶ月の使用期間のはずが、1週間で社員に。本当は話したかったが、先輩の話題は野球ばかり。野球オンチなので黙っていたらしい。

そこから、本格的な修行が始まり、11年後に独立。現在の工房を開き10年目だ。

ワン デイ ルポ

時間 内容 詳細
10:00 出社・作業開始 修理に時間のかかるバイオリンは預かっておいて、来客がないときに作業を進める。
11:00 来客 どうしても1時までに直してほしいというフランス人のお客さん。音色を決める「魂柱」がずれてしまっているらしい。
11:30 修理完了 時には談笑しながら、余裕たっぷりに30分ほどで修理完了。最後に音色をチェック。美しい音色が室内に響く。
15:00 来客 黙々と修理をしていると、チェロを買いたいという学生2人が来店。試し弾きして「いい音ですね」と感激。話も弾む。
18:30 新作の製作開始 預かり分の修理も一段落ついたので、作りかけのバイオリンに取りかかる。今日は木の正目を出す「ツイクリ」がけ。これは職人になったときに初めてやった仕事。
21:00 退社 高価な楽器類が多いため、火の元や盗難には特に注意している。
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