1990年から1999年 メディア掲載・工房の記録
1997年頃|西荻のフリーペーパー 「西荻クリエーター」
西荻クリエイター
「いい楽器を見ていないと目が腐ってしまう」
バイオリン職人 桂敏明さん ベルク・バイオリン工房
駅からすぐ近く、坂を下りたコーポの1階に桂さんの工房がある。部屋に入ると刷毛やノミといったたくさんの道具が壁に配列されていて、制作途中や修理中のバイオリンがたくさん吊り下がりわくわくした気分におそわれる。桂さんは11年バイオリン職人として修行を積み、独立してここ西荻に工房を開いてから7年になる。人を包むような温かな視線で桂さんがゆっくり振り向いた。
Q 子どもの頃はどんな子どもだったんですか?
A 病弱な子ども(笑)。
Q え?
A いや本当に(笑)体が弱くて20歳まで生きられないだろうと言われていたんだ。
がっちりした体格の桂さんからはなんだか想像できない。
A 子どもの頃心臓の手術をしてね、当時は難しい手術で、手術が成功して。
Q じゃあ子どもの頃は元気に外で遊び回るような子どもじゃなかったんですね?
A 遊び回ってはいたんだけど、すぐ苦しくなってね。それに冬はよく入院して1ヶ月くらい病院にいつもいたんだ。
Q 子どもの頃はどんなことが好きでしたか?
A プラモデルとか手でものを作ることが好きだったな。
Q 私も小さい頃落書きをしていて今も絵を描いているのですが(笑)、小さい時好きだったことへ大人になって結局そこに返っていく感じがしていますけど、桂さんもそうなんでしょうね。ご自分に影響を与えた人やものってなんですか?
A 一緒に住んでいたおじいさんが趣味で彫刻や絵を描く人で、一緒に石を拾いに行ったり、その石をルーペで見せてくれたこと覚えていますね。絵を観たりするのは今でも好きです。
Q 小学3年生の時にバイオリンのG線(一番低い音)を偶然聴いて感動してバイオリンを始めたそうですね。でもそれから大学の薬学部を目指したそうですがそれはどういう訳ですか?
A 僕は本当は科学者になって光合成のメカニズムを研究するのが夢だったんです。そのために大学行こうと勉強してたんだけど、「バイオリン技術者募集」という広告をみて「これだ!」と。
Q 偶然だけどなんとも必然的な出会いですね。で、どうやってバイオリン職人の勉強をしたんですか?
A イタリアのバイオリン学校に行こうとも考えたんですが、ちょうどその頃日本にストラディバリウスなどの名器といわれるバイオリンが集まっていて、本物に触れるチャンスがあったんです。最高のものを観て聴いて、修理したり触ることができたので、本場イタリアに行く必要がなくなったのです。
Q 最高のバイオリンというのはどういうことを言うのですか?
A まずニスがいいこと、形がいいことです。いいバイオリンは見ていると元気になります。バイオリンの顔が良ければ音もいいのです。
Q バイオリンは楽器の中でもどこか官能的ないい形ですね。
A ルネッサンスの人間復興というムーブメントの中で生まれた楽器なので、とても人間の形に似ています。黄金分割の比例で設計されているんですよ。
Q そうなんですか。具体的に音と形の関係はどうなんでしょう?
A バイオリンの上板のアーチの形、つまり膨らみのカーブの具合によって音が変わるのです。修行の11年間でたくさんの名器を見て、ニスとアーチとその楽器の出す音の関係のイメージを身体に入れました。だからバイオリンを見ればどんな音を出すのかわかるんです。
Q すごい。どういうバイオリンを目指して作っていらっしゃるんですか?
A ストラディバリウス型、1715年代のエンペラーというバイオリンを作っていますが、100項目あるバイオリン作りの基準値があるんですが、その通りただ作ってもだめなんです。ひどい音しかでない。自分の感覚、自分の目指す音のイメージだけで作ってもそれも上手く行かず、両方のバランスを上手く見極めるセンスが最後には大事になってきます。
Q なんだか楽器作りに絵の制作ととても共通点があるのでびっくりしました。今までどのくらい作ってきたんですか?
A 23本です。だいたい月1本くらいのペースで。よく自分を出しすぎるなと言われました。要するに自己陶酔になると嫌らしくなると。
Q なるほど。それもバイオリンだけでなくいろんなことに当てはまりますね。
A ですからそうならないようにいろんな人に会いに出かけたりするんですよ。
興味のある人にはジャンルを問わず積極的に会いに出かけるという桂さん。「ある域に達している人はちゃんと会ってくれるものですよ。中途半端な人ほど威張りますね(笑)」とにこにこ笑う。静かな工房の中で黙々と自分のバイオリンに向かう桂さんからはとても熱い魂を感じる。他にも釣りやアウトドア、登山と多趣味でどんなに話しても話がつきないのだが、また桂さんが薦めてくれたクラシックの名盤のカザルスを聴きに工房に遊びに来ようと思う。その時は私の好きな画集も持って。(CY)
ベルク・バイオリン工房
松庵3-35-21-102(これは昔の住所です)
3334-7179
1996年10月|「 Miraiza」(旺文社)
炎の職人養成講座
・・・・・小学生のとき、G線の音を聴いて、すごくいい音だと思いました・・・・・
楽器の中でも特に繊細な音を奏でるバイオリンは、価格も1台数万円から数十億円もするという高価な名器まである。そんなクラシカルな楽器・バイオリンを作っている桂敏明さんは、東京・杉並区に工房を持つ職人である。バイオリン職人になって今年で17年目になるという桂さんは、小さい頃、除夜の鐘やピアノの音が妙に怖かったという。音に対する感性が研ぎ澄まされていたのだ。
「大晦日に除夜の鐘が聴こえてくると、めまいとかしてたんですよ(笑)。でも、小学校3年生だったかな、初めてテレビでバイオリンのG線の低音(一番低い音)を聴いたときはスーッと入ってきて…。すごくいい音だと思いました。感動して作文に書いたぐらいなんです(笑)」
初めて怖くない音に出合った桂さんは、バイオリンの音に魅せられて3年ほどバイオリン教室に通っていた。しかしその後、一度バイオリンから離れ、薬剤師を目指すことになる。大学を途中で辞め、ほかの大学の薬学部を受け直すことにした桂さんは、筑波の動物園の飼育係をしながら大学受験に向けて勉強しようと決めたのである。
ところが、いざ動物園に出勤しようという朝、桂さんの運命は、思わぬ方向に向いていった。
「朝刊を開くと《バイオリン技術者募集》という小さな広告が目に飛び込んだんです。これだっと思って、ビビッと電流が走りましたよ。それですぐにそこに電話をして面接に行って…。あとのことなんて考えなかったですね」
偶然見つけたひとつの新聞広告で一生の仕事を見い出した桂さん。しかし、偶然の《ラッキー》はそれだけではなかった。桂さんがバイオリン職人になった頃は、ちょうどストラディバリウスなどの名器と言われるバイオリンがたくさん日本へ集まってきた時期と重なっていたのである。これは、桂さんにとって、腕のいいバイオリン職人になるための絶好の機会となった。
「最高のものを観て聴いて、修理して、さらにレコードも聴いて…。そうやっていい音をインプットできたことはすごくタメになりました。本場で勉強する必要がなくなってしまったんですから」
数々の名器を目にし、実際に修理もしてきた桂さんは、手の感覚で作り方を覚えているという。しかし、バイオリン作りは山登りといっしょで作っている間はずっと苦しいものなのだそうだ。では、桂さんにとって、バイオリン作りの魅力とはどういうところにあるのだろうか?
「感覚的で分かりにくいかもしれませんが、音のイメージ通りにできあがるように作っていくことです。それが一番楽しいですね。今後は、バイオリンを通して世界中を見て歩きたいと思っています」
桂さんがバイオリン作りで培ってきた感覚は万国共通なのである。
バイオリンの歴史
現在のバイオリンの形が完成したのは16世紀頃。イタリア、ベルギー、ドイツなども独創的な歴史を持っているが、最古・最高の伝統を持つのはイタリアである。特に、クレモナ派のアマーティ家、グァルネリ家、ストラディバリ家はバイオリン製作の三大名家と言われ、アントニオ・ストラディバリが設計したバイオリンは、後世の模範となる音量・音色を奏でる完璧な型のものであった。
その後、イタリアではガダニーニ派などの多くの流派と名製作者が生まれ、バイオリン製作の最盛期を迎える。
近代に入ると、音量の要求が高まり、細かい部分が改良されたが、主な共鳴部分である本体の胴の部分は変わることはなかった。現在は、これらの17、18世紀の楽器が名器として珍重されているのである。
1992年 |「String」4月号 (レッスンの友社)
わが町の楽器店
*この道に入られたきっかけは?
「二十二歳の時、ちょうど『ヴァイオリン製作の技術者募集』というのを見つけて、あ、これだ、と思って決めたんです。小学生の頃、ヴァイオリンの音に感激して習うようになったことも、瞬間的に決めた要素になったようですね。
それで、文京楽器の茶木秦風さんから、製作、修理、すべて教えていただきました。だいたい十一年位、そこで勉強したんです。」
*十一年間も毎日毎日、いろいろなことに出くわされたでしょう。
「いろいろありましたけど、ヴァイオリンを作ったり修理したりするっていうことが一番楽しくもあるし、“音”を作るのが自分の一番の目的で、それだけにずっと集中してましたので、過ぎてしまえばあっという間でしたね。
それから、アメリカで工房を開いているハンス・ヴァイスハールさんやイタリアのヴァイオリン学校の講師アンドレオ・デュッパーさんに師事して、様々なことを学びました。」
*それで、その後独立されたと。
「お客様と直接接してお話ししたりしながら、技術を高めていきたいと思ったんです。製作は今、月一本ずつ作るようにしています。」
*販売の方は?
「お客様が御希望なさった楽器を、調整して販売するという形ですね。製作の方はほとんど予約です。まあ、うちの場合はだいたい四十万というぎりぎりの価格で押さえてありますから。」
*第一号の楽器を作った時の思い出を……。
「もう、二年間もかかりました(笑)。ノミは毎日研ぐし、何かやることが全部新しいんですよね。
ヴァイオリンのパーツは、表、横、裏板、それとネックの四つ位しかないんじゃないかと思っていたら、各部分に対して基準表っていうのがあって、大雑把なんですけれども、五十項目から百項目位の基準の数値があるんです。基準はあくまで基準ですが、ポイントは絶対守らなきゃいけない。
あとは、板の厚さや隆起とか、F孔の形や位置など、微妙に違ってきますが、製作者の特徴などでほとんど決まりますね。」
*今一番課題としていることは?
「表板の隆起の形と高さを把握することが一番難しいです。隆起を目で見て、プレイヤーが奏でる音を毎日ずっと聴くことによって、血となり肉とならないと。
ストラドやデル=ジェスの隆起は、石こうの型にとって一応持ってますので、それを感覚で捉えて彫り込んでいくという…。まあ、ある程度は把握できたんでしょうか。まだまだ研究しなければなりませんね。
あとはニスですね。いいニスは、厚みがあった上で明るい。音の振動を止めないようなのが一番いいとは思うんですけれども、これはまあ、銘器を見て感じ取るしかないんですよね。」
*今後の抱負は?
「うちの基本的な目標は『技術と信頼』です。技術を開発していくことと、お客様にはその技術に頼っていただきたいということで、モットーとしているんです。」